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3085

張本勳簡介

請問他創了哪些紀錄(我只知道他是日本職棒唯一三千安俱樂部成員);他是日本本土球員嗎;還有他去世了嗎?
不好意思~只有日文的~不過應該不難啦~^^1940(昭和15)年広島県生まれ。

外野手。

左投左打。

背番号10(東映・巨人)。

1959年、浪商高から東映フライヤーズ(現日本ハム)に入団。

開幕戦からスタメン出場し、打率.275、13本塁打で新人王を獲得。

 1961年に打率.336で初の首位打者を獲得し、サイクル安打も記録。

1962年には打率.333、31本塁打で東映のリーグ優勝に大きく貢献し、MVPに選出され、日本一にもなる。

 そして、1967年からは4年連続首位打者となり、球界を代表する安打製造機となる。

1970年には当時の歴代年間最高打率となる.383を記録する。

 36歳になる1976年に前年最下位だった憧れの巨人へ移籍して全盛期の打棒が復活。

76・77年のリーグ優勝に貢献する。

 1980年にはロッテに移籍し、前人未到の3000本安打を達成。

1981年に現役を引退。

 投手を威嚇するような力強い構えからコンパクトに振り抜く広角打法は、本塁打も打てる安打製造機として高いアベレージと本塁打量産を続けた。

 実働23年で通算打率.319(歴代3位)、504本塁打(歴代6位)、1676打点(歴代4位)。

タイトルは首位打者7回(歴代1位)、最多安打3回、最高出塁率9回、新人王、ベストナイン16回。

歴代1位の通算3085安打は不滅の大記録と言われている。

參考資料 http://www.webmie.or.jp/~m-yama/index.html
氏名張本 勲(ハリモト イサオ)生年月日S15.6.19出身地広島県出身校浪華商業高校在籍球団東映~巨人~ロッテ背番号10ポジション外野手利き腕左投左打通算成績安3085・本504・点1676・率319獲得タイトル新人王(S34)・MVP1回(S37)・首位打者7回・ベストナイン16回・最高出塁率9回・月間MVP1回メモ広角打法の先駆者で安打製造機の異名をとる球歴 S34年 東映フライヤーズ入団S48年 日拓ホーム・フライヤーズS49年 日本ハム・ファイターズS51年 読売巨人軍移籍S55年 ロッテオリオンズ移籍S56年 現役引退 S57年~ 野球解説者(TBS他)成績 生涯打率3割1分9厘2752試合9666打数3085安打504本塁打1676打点1523得点1274四球815三振319盗塁78死球77失策S47.8/19

2000本安打達成S55.5/28

3000本安打達成獲得したタイトル 新人王(S34)MVP1回(S37)首位打者7回(S36.42~45.47.49)ベストナイン16回 パ(S35~45.47~49) セ(S51.52)最高出塁率9回(S37.39.42~45.47~49)月間MVP1回(S51.6月)エピソード ”天下一品の広角打法で3000本安打”S34年東映フライヤーズに入団、この年同期で巨人軍の王と新人賞を争い、打率0.275、ホームラン13本の成績でタイトルを手中にし、スタートから大きく引き離した。

2年目から3年連続3割を打つなどすでにこの頃から非凡さをアピールしていた。

少年時代事故で利き腕の右手を大火傷し左に転向、左バッティング引き腕(右)の強化に血の汗を流したおかげで左右に打ち分ける技法を身につけた。

広角打法の先駆者で外角は逆らわずフェアゾーンをフル活用し安打製造機の異名をとる。

首位打者は4年連続を含め7回獲得、神様・川上、天才・長嶋の6回を凌いだ。

日本記録 ・4年連続首位打者計7回(S36.42~45.47.49)・打率ベストテン入り、15年連続(パ・リーグ記録)合計17回(S35~49.51.52)・シーズン打率3割以上、9年連続合計16回(S35~37.39.41~49.51~53)・13打席連続出塁(S49.5/23~5/26)・安打、通算3085本・単打、通算2089本・猛打賞、通算251回パ・リーグ記録 ・敬遠四球、通算228個主な記録 ・サイクルヒット(S36.5/7)・30試合連続安打(S51.5/13~6/20)セ・リーグ2位・9打数連続安打(S49.5/23~5/26)パ・リーグ2位・1シーズン150安打以上、4年連続合計9回(S36.37.39.44~47.51.52)・1シーズン100安打以上、20年連続合計20回(S34~53/歴代2位)・1試合3安打以上、197回・最高出塁率、4年連続合計9回(S37.39.42~45.47~49)・最高長打率、3回(S36.42.43)・安打最多打者、セ・リーグで1回(S51/182本)・安打最多打者、パ・リーグで2回(S45/176本

S47/169本)・1シーズン30ホームラン以上、5回(S37.38.45.47.48)・1シーズン20ホームラン以上、13年連続合計16回(S36~48.51~53)・満塁ホームラン、通算7本・サヨナラホームラン、通算6本(歴代7位)・開幕戦ホームラン、通算6本(歴代5位)・三塁打、通算72本(歴代9位)・二塁打、通算420本(歴代4位)・塁打、通算5161本(歴代3位)・塁打最多打者、3回(S36.47.51)・チームの5連続ホームランに参加(S46.5/3・ロッテ)・高卒ルーキー開幕スタメン出場(S34.4/10)・1シーズン90打点以上、3年連続合計7回(S36~38.41.45.48.51)・1シーズン90得点以上、3回(S38.45.47)・四球最多打者、4回(S37.38.44.48)・四球、通算1274個(歴代3位)・敬遠、通算228個(歴代2位)その他 *日本シリーズ、セ・パ両リーグで3回出場、19試合/0.370(S37.51.52)・技能賞(S37)・打撃賞(S52)*オールスター、セ・パ両リーグで18回出場、51試合/0.292 セ(S35~39.41~50)

 パ(S51~53)・オールスターMVP、3回(S35.37.49)・単打最多打者、通算33本・1イニング2安打(S45)・2試合シリーズ中、2ホームラン、5安打(S37)*連盟特別表彰3回・S45/シーズン打率新記録0.3834に対して・S55/通算3000本安打に対して・S56/功労賞*野球殿堂入り(H2)
他是韓裔日藉的球員。

所以

應該也算是日本本土球員吧!


1940年6月19日出生於廣島縣廣島市。

181公分.85公斤。

左投左打。

浪華商→東映(火腿前身)→巨人→羅德 。

張本勳由於四歲時右手手指遭到燙傷

因此右手受傷有點不靈活

因此在小學四年級時開始打棒球之後

就一直是使用左投左打的方式

而小時候的一個傷害

卻造就出一代安打製造機!

原本張本勳預定要在浪商畢業之後

立刻披上巨人隊的戰袍

甚至連300萬簽約金的契約都已經準備好了。

沒想到在加入巨人的前夕

卻發生了浪商棒球社學長涉嫌虐待學弟的事件

而使得當時的浪商名譽受到的不小的傷害。

雖然張本勳本人與這件事情並沒有關連

但是當時的巨人隊社長卻擔心張本如果加入巨人

會影響到巨人隊的形象

因此就放棄了和張本勳簽約的想法了。

而張本勳只好轉為投靠當時的東映(也就是火腿隊的前身)。

1971年5月3日9東映面對9連敗的慘況而面對羅德隊、八局結束還以6比一落後。

沒想到羅德隊在九局上半連續失誤使得東映追成了六比六平手

到了第十局在兩人出局滿壘的情況下代打的作道丞一棒轟出滿貫全壘打

緊接著大下、大橋也連續擊出全壘打。

羅德隊只好把主投的佐藤政夫投手換下來退場休息

沒想到張本・大杉又連續轟出全壘打

連續五名打者擊出全壘打也成為日本職棒記錄

而那一天羅德隊的江藤慎一也揮出連續三打席全壘打

光一場比賽雙方和起來共擊出了十二支的全壘打。

張本勳曾經講過這樣的論點

他表示當他打擊時他很討厭一壘的跑者向二壘盜。

因為當一壘有人之時

一壘手勢必要在壘包上不能亂動

此時一壘手與二壘手之間便空出了一個大洞

剛好可以讓他好好的發揮打擊的能力

把球往這個方向擊出

那就八九不離十可以成為一支安打了。

張本加入巨人隊之後

與王貞治的連線有OH砲的美稱

而他原本在火腿隊的最後一年打擊率已經降到.276

沒想到移籍到巨人的第一年

他竟然揮出了0.355的高打擊率

幫助巨人隊從原本的墊底追擊得到央聯冠軍

隔年也有0.347的高打擊率

在幫助巨人拿下聯盟二連霸。

可惜的是當年張本勳原本有機會創下兩聯盟皆拿下打擊王的紀錄

但卻以千分之一敗給谷澤健一。

谷澤當時打擊率.3548、張本.3547只相差了千分之一!

年度:1959年球隊:東映出賽:125打數:418安打:115全壘打:13壘打數:182打點:57盜壘:10四壞球:29四死球:5三振:54打擊率:0.275長打率:0.435年度:1960年球隊:東映出賽:106打數:384安打:116全壘打:16壘打數:195打點:56盜壘:15四壞球:26四死球:3三振:56打擊率:0.302長打率:0.508年度:1961年球隊:東映出賽:129打數:473安打:159全壘打:24壘打數:282打點:95盜壘:18四壞球:46四死球:5三振:42打擊率:0.336長打率:0.596年度:1962年球隊:東映出賽:133打數:472安打:157全壘打:31壘打數:282打點:99盜壘:23四壞球:86四死球:4三振:46打擊率:0.333長打率:0.597年度:1963年球隊:東映出賽:150打數:529安打:148全壘打:33壘打數:277打點:96盜壘:41四壞球:92四死球:3三振:47打擊率:0.280長打率:0.524年度:1964年球隊:東映出賽:129打數:461安打:151全壘打:21壘打數:247打點:72盜壘:31四壞球:78四死球:1三振:42打擊率:0.328長打率:0.536年度:1965年球隊:東映出賽:132打數:455安打:133全壘打:23壘打數:221打點:88盜壘:29四壞球:72四死球:4三振:37打擊率:0.292長打率:0.486年度:1966年球隊:東映出賽:122打數:443安打:146全壘打:28壘打數:247打點:90盜壘:10四壞球:43四死球:2三振:31打擊率:0.330長打率:0.558年度:1967年球隊:東映出賽:120打數:414安打:139全壘打:28壘打數:247打點:88盜壘:18四壞球:66四死球:10三振:30打擊率:0.336長打率:0.597年度:1968年球隊:東映出賽:114打數:363安打:122全壘打:24壘打數:210打點:65盜壘:13四壞球:61四死球:4三振:20打擊率:0.336長打率:0.579年度:1969年球隊:東映出賽:129打數:480安打:160全壘打:20壘打數:249打點:67盜壘:20四壞球:71四死球:2三振:33打擊率:0.333長打率:0.519年度:1970年球隊:東映出賽:125打數:459安打:176全壘打:34壘打數:298打點:100盜壘:16四壞球:64四死球:8三振:36打擊率:0.383長打率:0.649年度:1971年球隊:東映出賽:128打數:480安打:150全壘打:26壘打數:255打點:78盜壘:18四壞球:64四死球:2三振:32打擊率:0.313長打率:0.531年度:1972年球隊:東映出賽:127打數:472安打:169全壘打:31壘打數:295打點:89盜壘:10四壞球:69四死球:3三振:37打擊率:0.358長打率:0.625年度:1973年球隊:日拓出賽:128打數:441安打:143全壘打:33壘打數:260打點:93盜壘:12四壞球:93四死球:6三振:32打擊率:0.324長打率:0.590年度:1974年球隊:日本腿出賽:120打數:406安打:138全壘打:14壘打數:206打點:62盜壘:14四壞球:82四死球:1三振:28打擊率:0.340長打率:0.507年度:1975年球隊:日拓出賽:119打數:410安打:113全壘打:15壘打數:174打點:46盜壘:6四壞球:58四死球:1三振:26打擊率:0.276長打率:0.424年度:1976年球隊:巨人出賽:130打數:513安打:182全壘打:22壘打數:293打點:93盜壘:8四壞球:51四死球:4三振:44打擊率:0.355長打率:0.571年度:1977年球隊:巨人出賽:122打數:440安打:153全壘打:24壘打數:253打點:82盜壘:3四壞球:40四死球:6三振:37打擊率:0.348長打率:0.575年度:1978年球隊:巨人出賽:122打數:440安打:153全壘打:24壘打數:253打點:82盜壘:3四壞球:40四死球:6三振:37打擊率:0.348長打率:0.575年度:1979年球隊:巨人出賽:77打數:228安打:60全壘打:8壘打數:91打點:32盜壘:1四壞球:23四死球:1三振:21打擊率:0.263長打率:0.399年度:1980年球隊:羅德出賽:102打數:341安打:89全壘打:12壘打數:134打點:39盜壘:0四壞球:26四死球:2三振:37打擊率:0.261長打率:0.393年度:1981年球隊:羅德出賽:70打數:160安打:35全壘打:3壘打數:50打點:16盜壘:2四壞球:12四死球:0三振:14打擊率:0.261長打率:0.312生涯成績出賽:2752打數:9666得分:1523安打:3085二壘打:420三壘打:72全壘打:504壘打數:5161打點:1676盜壘:319犧牲打:4犧牲飛球:90雙殺打:145四壞球:1274四死球:78三振:815打擊率:0.319長打率:0.534出壘率:0.399盜壘成功率:73.0%獎項:首位打者(1961年打擊率0.336、1967年打擊率0.336、1968年打擊率0.336、1969年打擊率0.333、1970年打擊率0.383、1972年打擊率0.358、1974年打擊率0.340)最高出塁率(1962年0.440、1964年0.426、1967年0.439、1968年0.437、1969年0.421、1970年0.467、1972年0.443、1973年0.448、1974年0.452)MVP(1962年)新人王(1959年)最佳九人(1960年外野手、1961年外野手、1962年外野手、1963年外野手、1964年外野手、1965年外野手、1966:年外野手、1967年外野手、1968年外野手、1969年外野手、1970年外野手、1972年外野手、1973年外野手、1974年外野手、1976年外野手、1977年外野手、)特殊成績◎通算3085支安打(日職最高)◎單季100支安打20回◎猛打賞獲得251回◎30試合連續安打◎九打數連續安打◎完全打擊(61年五月七日)◎單季20支本壘打13回◎各自代表兩聯盟在總冠軍戰擊出全壘打(央聯:巨人、洋聯:東映)若你稍微看的懂日文的話

這個網站也有介紹日本野球名球會會員http://www.meikyukai.co.jp/member/member.htm 參考資料網路、http://www3.lint.ne.jp/~lucky/cgi-bin/record.cgi 參考http://tw.knowledge.yahoo.com/question/?qid=1105050801151回 答 者: ゑ阿鋒ゑ ( 初學者 1 級 )
張本勳還在世...

3085
參考:http://tw.knowledge.yahoo.com/question/question?qid=1305100612411如有不適當的文章於本部落格,請留言給我,將移除本文。謝謝!
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